| 番号 | タイトル | 著者 | 掲載誌 | 日記 |
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| No.44 | 『薔薇のために』 | 吉村明美 | 月刊「プチコミック」4月号 | 1997.02.26 |
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吉村明美さんの場合、たまに、とっても泣かせる挿話が入っていることがあって、心のなかに、コトンと落ちてずっと位置を占めてしまうことがあります。 今回の「悲しい小鳥」の挿話は、まさにそんな感じですね。あいかわらず、「うっ、うますぎるっ!」です(ほほほ) もしかしたら、今、紫野が、ぴーぴー泣きまくる娘を抱えている身でなかったなら、こんなに、この話にやられたかどうかは分かりません。けれども、一方で、やっぱり、今、この手に抱いている娘がいなかったとしても、この話は効いたような気もします。 子どもを亡くしてしまった母親の、どうしようもないどうしようもなさ(<なんじゃ、それ)って、身につまされてしまうなぁ、と。 紫野は、わりと、母親の自覚の薄い母親(<自分で言うなよ。)ですが、あの、子どもを抱いた時の、柔らかい命の感触って、非常に強く訴えてくるもんがありますよね。そこんところをうまくついた挿話だなぁ、と感動しました。 (ま、そういうとんでもなく強力な力でも備えないことには、あんなに手のかかるしろもんを基本的にてめぇしか大事じゃない動物がかいがいしく面倒をみるはずもなく(<こらこら)、一見無力な赤ん坊のとんでもなく底力だなぁ、と常々感心はしてます。) 愛情とかそういう名前がつけられるもんじゃない、あの感覚。たぶん、ほとんどの人が、子として、親として包まれたことのある、あの感じ。 そこんところを、うまくあらわした挿話だなぁと思います。そういう話に心を深く動かされた少女が、やがて、ゆりを産むことになる。彼女のことを何もゆりは知らないけれど、でも、今、やっと、彼女は「ただの知らない人」からひとりの人になる。 認めるのは、とても難しいことだけれど、おそらく、たぶん、いろんな人にいろんな悲しみや苦しみがあって、たぶん、自分を産んだ人にも、そんな、やむにやまれぬ想いがあったんだ、と。おそらくは、桜井萌子という人は、どこまで行ってもゆりの「母親」にはなり得ないのだろうけれど、でも、ただの記号が血肉をもった「ヒト」になる瞬間というものがあるのでしょう。 ま、あんまり認めたくはないことですが、女優のおかあさんのほうにも、他人とは違ったかたちで、同じ感情が流れているのでしょう。(今、妊娠中だし。)やじうま的興味としては、あのおかあさんがどうやって子育てするか?(今度は自分で育てると言ってるるけど、ほんとに?)の方に興味が向いてしまうのですけどね。
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