| 番号 | タイトル | 著者 | 掲載誌 | 日記 |
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| No.57 | 『みのり伝説』最終回 | 尾瀬あきら | 『ビッグコミック・オリジナル』 11.20号 | 1997.11.07 |
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なんか、おそろしく久しぶりにこのページに書いてます(わははっ) 「えっ? もう終わっちゃうの?」という感じの『みのり伝説』。けっこう、楽しく読ませていただきました。 みのり、30歳。ま、紫野も同じぐらいの年代ですが(とはいっても紫野のがチョイ上)、「うっ、わかるっ!」ってエピソードが多くて、でも、「好きなエピソード」とは言い切れないようなのが多くて(笑) なんなんですかねぇ、きっと、あまりにも身近に感じすぎるからなんでしょうね。 たぶん、きっと。みのりは、もしかしたらこうだったかもしれない自分。そういうところにとても近い存在なんです。 もちろん、みのりは、やっぱり少し美化している部分がないでもないなぁと思うし、けっこう、自分のことを分析している性格だから(そうでないと、独白型のストーリーはつらい)、あんまり、「わけわかんない」状態にはなんないんで、そこは紫野とは違うけど。 でも、オンナ30歳。分かっちゃうよね。言葉にならないところで、自分の一番深いところにある何かが変わっていくような予感がする、そんな時期。もはや娘ではない自分。若い娘であった時を超えていかなければならない自分。そのかすかに鈍い痛みは。 みのりもいろいろ苦しめられるわけなんだけど、30歳前後というのは現代の女性にとっては、生物としてある種の予感に揺れる時期なわけです。 そろそろ生物学的に子どもを産む時期の後半部分に入っていく年代なのね。だから、結婚とか出産という事象がつねに頭のなかにチラチラしてたりする。世間様も余計なお世話にうるさいし(爆) でも、「結婚」が絶対な時代じゃない。まがりなりにもなんとか自分で食べて行けるだけの力はある。 なのに、「このまま行くと一生子どもを産まないままかもしれない。」 という予感がよぎる。わりと本能的な部分よね。 女の子っていうのは、なんとなく(教育とか刷り込みの成果でもあるが)、「いつか子どもを産んでおかあさんになる」という自分自身のイメージを抱いているケースが多いから、そういう機会がなくて30歳になる現在の状況が見えてくると、「なんだか分からないけど不安」になるんじゃないかと思う。抱いていた自分の未来像が達成されないらしい・・・という予感かなぁ。 そうでなくとも(つまり紫野なんかもそうだけど、子ども産んでいたとしても)、「もう産めなくなるんだなぁ」という予感は、けっこう、しみじみと重いものがあります。いつかはくることなんだけど。そうね。初潮を見たときの、軽い嫌悪感に似ているかもしれませんね。なんといえばいいんだか、「生物学的にステージが移る」感じっていっても分からないか(笑) んでまた、長い間、女性は「子どもを産む性」という部分だけを評価されてきたもんで(もちろんそれだけじゃないわよ)、そういう機能がなくなるということはけっこう怖いことなんだよね。自分自身の居場所を失うような恐ろしさがあるわけ。賞味期限が切れる、というと言葉は悪いけどね。気分としてはそんな感じ。 長くなりましたが(笑)、そんなこんなで、この年代の女性はわりと不安定なんじゃないかなぁと思います。そういう時期をうまく超えれば、たぶん、見事に羽化するんでしょうけど、う〜、じゃ、どうすりゃいいのっ!ってのは渦中の奴にはわかんないですね(紫野も真っ最中だし。) みのりの恋はつらいですよね。誰も悪くない。でも、せつない。だから、連載がここで終わるのは残念だけどよかったと思います。狎れて堕ちていく恋愛は見たくないから。 自分自身や相手の状況によって恋心を留めることはできない。留められない恋心が自分と相手とそして関わる人々のすべてを不幸にするだろうことは見えているのに、それでも相手を求める手を伸ばさずにはいられない。みのりが選んだ恋はそういう恋で。でも、みのり自身が「やがて卒業していく自分」をすでに予感しているのね。そういう恋なの。恋は人を鬼にも邪にもするけれど。そういうこともあるだろうけど、それでも。 きっと、みのりは、織田さんとの恋を卒業して、もっと元気で、もっとつよくて、もっと素敵な女性になっていくのだろうけど、でも、その過程は見なくていい。みのり自身もきっと分かっている。未来のことは分からないけど、でも、けっこう「どうにかなっている自分」がいるだろうとちゃんと思える。みのりにはそんな力があって、だから、この物語はここで終わってしまうのがいいのです。 みのり万歳! やがて伝説になる、これはそんなお話。
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