| 番号 | タイトル | 著者 | 掲載誌 | 日記 |
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| No.59 | 『ニューヨーク・ニューヨーク II』 | 羅川真里茂 | 『花とゆめ』 24号 | 1997.11.29 |
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今回は、「カミングアウト」がテーマのひとつ。 ケインの両親は物語りのストーリーから察するにゲイ的素因はあんまりなさそうな気がします。ゲイってのは生得のものなのかって研究や議論もあるわけだけど、ま、そこは置いておいて、今、現在、異性に性的欲求を感じない人々がいるのも事実です。性的欲求ってのは、頭で考えるもんじゃないから、それがそうであるのは仕方ないもんなぁ、って紫野は常々思ってます。そりゃ、まぁ、相手を殺しちゃうようなのは、やはり困りますが、当事者同士がそれでいいんだったらなんでもありでしょう。こういうもんは。 両親に対してカミングアウトするってのは、これは、もう、かなり、非常に、勇気というか踏ん切りが必要だと思うんですね。特に、ケインの場合、両親もまったく気づいてないわけだしね。んで、この作品では、特に、母親のエイダが率直に描かれているんじゃないかと思いました。父親のジョージのほうはけっこう出来すぎかなぁってところもあるんだけど。ま、ふたりとも、息子がゲイであることに戸惑って拒絶しちゃうと話しが進めづらいからこうなったのかも。 ご近所さんのシャーリーがいいキャラクターですよね。けっこう、飛びぬけちゃってる人で。彼女が語る経験は、「この人が今こうなのはすごいことだよなぁ。」って思わせてくれます。シャーリーも厳格な家庭に育った人なんだものね。案外、そういう父親に反発して今のシャーリーがあるのかなぁって、彼女の裏側が一瞬見えるようなエピソードだよね。気に入ってます。 ん〜、うまく言えないけど、性的嗜好ってのは、規範とか道徳とか、そいういうレベルの問題じゃないんじゃないかなぁ。これは、まさに「嗜好」の問題なんだよ。日本は、社会的環境としては、あんまりキリスト教化されてないから「それが罪だ」って感覚はあまりないのだろうけど(でもさっ、考えようによってはさ、旧約の時代からゲイはいて、今もやっぱりいるわけなんだから、別段、特別なことじゃないのかもね。人類のなかにはずっとゲイが含まれてて、現代に至るまで、ずっといっしょに生活してきたってことじゃん。)、「他と違う」ってことに妙に敏感な社会だからなぁ。ゲイであることは、きっと生活の端々に不都合や不便や不愉快があるってことなんでしょうね。そんななかで、お互いがお互いを誰より大切に思う人がいるってのは素敵なことだよね。たとえそれが他人同士であっても、そういう関係を見ていると自分もいい気持ちになれるもん。ケインとメルって見ていて応援したくなるカップルです。
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