| 番号 | タイトル | 著者 | 掲載誌 | 日記 |
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| No.60 | 『静かなる夜のほとりで』 | 横谷順子 | Eleganceイブ 3号 | 1998.2.8 |
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「かわいそう」という言葉は それだけで人を傷付ける 美鈴は耳が聞こえない。志摩ちゃんと真木さんは耳が聞こえる。 だけど、美鈴は「かわいそう」なんかじゃない、と訴える。 「かわいそう」という気持ちは、「自分はそうじゃなくてよかった」という気持ちと紙一重だから。 「瑠璃」という喫茶店のマスターは健聴者で、ママは聴覚障害で、ふたりに授かった赤ちゃんにも聴覚障害があって。 覚悟していたつもりでも、やっぱり、マスターがその事実を受け入れるためには時間がかかる。時間がかかっても、何度も誤解やすれちがいがあっても、「分かり合いたい」と思う気持ちがあるのなら、いつかはなんとかなるんじゃないだろうか?って紫野は思います。あきらめないでいれば、お互いに分かり合いたいと思うのならば。ほんとうの意味でまったく同じ気持ちになることはできないけれど、あきらめたらそこで終わりだかんね。 障害があるから幸せじゃない、なんてわけはないですね。身体的な障害がなくても幸せじゃない人はいっぱいいるし、たしかに今の日本の社会は、障害があったり、障害といえなくても、幼かったり、病気もってたり、老いているだけで、不愉快になるようなことがいっぱいある社会で、まったくしょーもない社会ではあるんだけれど、でも、その人がその人であることは変わらない事実で、その人が幸せかどうかは条件で決まるもんじゃぁない、ってのが信念なんだよね。 幸せになるには、そのための才能とか努力とかいうものがやっぱり必要でさ、どんなにいい条件をかき集めてみたところで、幸せじゃない人は幸せじゃないんだよね。逆にどんな状況でも幸せになることはできるんだと思うわけ。 年がら年中幸せで、頭のなかが春爛漫ってのも、ちょっとナニではあるけど、いつもいつも不満をもって不幸せを数えてるよりゃ、百億万倍もましよね(笑) できれば、みんなで幸せになれたらいいね、と思うわけです。 健常者である、ということで負い目を感じるってのはやっぱ不健康だよな、と思います。 美鈴が「かわいそう」という気持ちに苛立って、感情を爆発させたときの志摩ちゃんと真木さんの表情も、きっとそれだな、と感じてしまったのだけど。 ごく自然である、ってことが、じつは一番難しいのだろうけど、でも、その人がその人であること、を認めたいと思うし、それは、自分が自分であることを認めてもらいたいからこそなんだもん。 ・・・そうはいっても、とある障害がある人と、その同じ障害がない人が、ごく自然につきあえる・・・とはいかない世の中なんですよね。だってさ、やっぱり、身近にいて、どんなとこが不都合でどんなとこが不都合でないのか?ってのが分からないので妙にかまえしてまうから。身近にいて、おたがいに「なぁぁんだ」って言えるような暮らし方をしたいですよね。子供のころからそういう環境で育っていけることが理想なんだけれど。 みんなただ、自分自身であること。ただ、それだけなんだろうけれども・・・。
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