| 番号 | タイトル | 著者 | 掲載誌 | 日記 |
|---|---|---|---|---|
| No.78 | 花粉航海 | 小野塚カホリ | 宝島社 | 1999.6.3 |
|
その闇の向こうにあるのは・・・ うちのお春(4歳)はリョウ君と大の仲良しだ。保育園でふたりでくっつきあって床でゴロゴロしてじゃれている様子を見ながら、ふっと、「年齢がもうちょっと上なら危ない光景なのかな?」と思った。 もちろん、そんなのは大人の(笑)見方なのだけれど。本人たちには、まだ思いもよらないような連想をする。 ふっ、と。「お春はいつ自分がオンナだって気づくのだろう・・・」と考えたら、自分の足元に大きな深い奈落が開いている。それから、彼女を出産したときの痛みの記憶が脳裏をかする。 紫野は、思春期にもわりと、「自分がオンナであること」をけっこう違和感なく受け入れてしまったので「それ」に恐怖したことはないのだけれど、「愛着」ってのは分かるな、と思った。 うん、「愛着」なんだよね。「愛でなく」(笑) たぶん無意識的にも意識的にも、「オンナの身体を持っていること」を歓迎し、受け入れてしまっているこの身にでさえ、何かの拍子に奈落が開く。自分のなかにある湿って暖かい暗い闇の感触と同質の闇。ひどく懐かしく慕わしい、あの。 ・・・それが、なぜか陣痛の強烈な痛みの記憶につながってしまうのだ。 胎児はね、外界に出ても生きていけるぐらいに大きくなるまで子宮に留まっていないといけない。人間は2本足で歩行する動物なので、大きくなる胎児を重力に逆らって体内に留めておくために、子宮口を堅く閉じなければならなかった。 で、だ。 その子宮口が開いていく(<もちろん、子供が外界に産まれ出るために、だ。)過程は、子宮口の持ち主にとってはものすごく痛い。仕方ないことだが、強烈に痛い。・・・これが陣痛だ。 母親として経験していようがなかろうが、意識してようがなかろうが、あの闇のむこうには、この痛みがある。そんなふうに思う。 ほとんどすべての産まれ出たものは、この痛みを共有して産まれてきた。 (母親があれほど苦しいのだから、子供が苦しくないわけがなかろう。) あれほどの痛みを乗り越えて、光満てる、この苦い現実の世界へ、産声をあげて。たぶん、何の意味もなく、果敢に(苦笑) ・・・でもね、だから、紫野は、意味もなく「信じてもいい、大丈夫だ」と感じる。(それが正しい確信なのかどうかは別として。) さて、もしも、男の子の母親になったら・・・紫野は、危険な奴になるだろう。 コントロールしようとし、その快感に酔うだろう自分が、容易に想像できてしまう。 そして、いつか復讐されるのだ。しょ〜もないね。
|