| 番号 | タイトル | 著者 | 掲載誌 | 日記 |
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| No.82 | こちら椿産婦人科 | あまねかずみ | YOU NO.22 11月15日号 | 1999.11.3 |
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遊びの代償 夏を終え、産婦人科に足を運ぶ少女たち。 「自由な性」の代償はあまりに大きくて・・・。 「年々ちがうのは 年々 少女たちの年齢が若くなったのと 態度から羞恥心が感じられなくなったこと」 そういえば、今クールで「金八先生」がカムバックしているけど、金八さんの第一シリーズでは「十五才の母」がたいへん話題になった。そのころは紫野もちょうど同世代で、ずいぶんと考えさせられた。まぁ、今にして思えば、考える、たって、まだまだ小娘の考えにすぎなかったわけだが。 少年少女の間で、性病が大蔓延しているという。 ほんとだとしたら「この国の性教育はどうなっとるんだ?」と考えてしまうのも仕方ない。それも1種類じゃなくて、デパート状態の少女もいるという話が「SPA!」なんかには載っている。 夫から性病をうつされて(それだけが原因ではないのだろうけど)、「若き童謡詩人の巨星」とまで評された金子みすゞが自殺したのは、わずか70年ちょっと前。なのに、その時代がいまはこんなに遠い。 万作の怒鳴り声に「先生 何いってんの? チョー難しくてわかんなーい」と返す。それが、今の少女たちの実態なんだろうか。 15、6歳のころは、紫野だって「いっぱし」の「一人前」のつもりだったけど、それでも、まだまだ子供でさびしがりやだったんだな、なんて、今にしたら思う。そんなこと言ってみたところで渦中の少女たちの藁の役にもたちはしない・・・。けどね、10代の少女でも、妊娠するし、子供を産めるし、産んだら母親なんだよね。それも苦い現実。若さゆえの全能感から、たとえ他人が妊娠したとしても自分は妊娠しないという根拠のない思い込みがあるのかもしれない。でも、ただ、それを「想像力の欠如」と切って捨てることはできないように思う。現代日本の生活のなかでは、子供が大人の覚悟を育てていくことがとても難しい。大人であるよりも、子供であるほうが有利な社会になってしまっているし。妊娠という現実は、そんな「こどもたち」に「親になる」という大人の覚悟を強制する。(そういう自覚もなく親になってしまう場合もあるが・・・) ほんとに必要なのは、幼いころからのちゃんとした性教育なのにね。10代の少年少女たちにこそ、きちんとした性教育をしなくちゃいけないのに、この国の大人はなにやってるんだろう。(あんただよ、アンタ >紫野) 自分の身体を性病や望まない妊娠から守ることは、自分の人生を大事にすることと同じことなのに。自分を守ることは、過去に営々とながれる自分につながってきた生命と、この先つながっていく未来の生命とを同時に慈しむことなのに。 もうじき17歳の少女の妊娠。 「きみに優生保護法が適用できると思う?」 「できるさ! 経済的にだって育てられないもん!!」 「それだけの頭があるのに・・・ なんで防御をしなかったんだ?」 「・・・男が 嫌がるから」 産婦人科の医師・万作は、妻でもある助産婦の彩に言う。 「男が嫌がる・・・なんてあまりにも弱すぎる!」 結局、自由になったようでいて、女性の現実は根っこのところでは、たいして変わっていないのだろうか。 言ってはなんだけど、男性は妊娠しないものだから、妊娠ってけっこう「ひとごと」なのだ。それに文句言ったところで、体質の違い(って言うのか?)はいかんともしがたい。たいして、女性には「ほんのちょっと妊娠する」なんて芸当はできない。妊娠したら、それは、まぎれもなく自分自身の妊娠なのだ。 そんなわけで「女性の性の自由」って「自分の子供の父親を自分で選ぶ自由」あるいは、「子供を産むか産まないかを自分で選ぶ自由」なんだと、そう信じてきたのだけれど。 「避妊」は、すべてのこどもが望まれて生まれるためにある。 どうか、膨大な生命を継いで生まれてきた自分の命を誇り、人としての誇りに恥じない選択をしてほしい。
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